「頑張れ」という言葉
今回はこれまでの経験を元に見つけた答えを書き記してみようと思う。まだ探求中のものだが…
今まで自分が生きてきた中で、精神的に参っている人、消耗している人と接することがやけに多かった。
海外出身の彼女との文化の違いによるいざこざに悩む友人や、仕事場での極端にかかるストレスから身体的にも支障が出てる親友、対人関係で消耗し家に引きこもりがちになってしまったかつてのバンド仲間、当時いた職場に馴染めずに愚痴りがちだった後輩達、リストカット癖のあった女友達等々…大小様々だ。
人間誰しも闇を抱えて生きているものだからそれ自体は別に良い。時間経過、環境の変化で治ることもあるし、それを自分の運命として受け入れて生きる人もいる。
問題はその人たちにかける言葉だ。
「うつ病の方に「頑張れ」という言葉を使うのは厳禁」
というフレーズはどこかで見たことあるだろう。
俺も色々な人と接してきて、この文面が脳裏をよぎることも度々あり、何故そうなのかと悩むこともあった。
この結果、これまでの経験から
「そうとは言い切れないが概ね正しい」
という回答に落ち着いた。
まぁありふれた結論だが…
そもそも頑張れって言葉は便利なもんで、応援するとき、励ますとき、発破をかけるとき、どんなシチュエーションでも使えてしまう危険性を孕んだ言葉だ。
同じ目線になって考えてみると、精神的にナーバスになっている人は、楽になりたい、重荷を下ろして解放されたいという感情が根底にある。
自傷による痛みがトリガーになって精神的に楽になれるという話も実際にリストカットをしていた人から聞いたこともある。
そんな人達に頑張れといっても思いが逆方向なんだから受け入れられる訳がない。
あくまで頑張れという言葉は実際に頑張っている人にのみ使うべきなんだ。
極端な例を出すと、
俺が仕事でノルマ分を終えて定時に帰宅しようとしたときに、上司からもっと頑張れよと残業を押し付けられるとする。
普通、「はぁ?ぶっ殺すぞ?」ってなるだろうよ。
一方、就業中で仕事に打ち込んで結果を出した時に激励として
「頑張ってるね、この調子で頼むよ」
という言葉があると若干嬉しかったりもする。
一応言うが、頑張らないことが悪とは思わないし、頑張るから素晴らしいということでもない
。ましてや頑張れという言葉も悪いものだとは思わない。問題はそこではなく、要は人の心理状態によって掛ける言葉に注意するってことだ。誰にでもオンオフはあるんだし。
頑張れというのは頑張りたくない人にとっては、「もう頑張ってる!」、「まだ頑張らないといけないの?」、「人の気も知らないで!」という風に重荷としてのしかかる。
解放されたいという自分の本意とは相反する言葉だからだ。
そう言った人にとっては善意だとしてもそんなものは関係ない。
言葉と言うものは善悪問わず純粋な魂を持ち、そして呪いにもなりうる諸刃の剣だ。
呪いと認識してしまった人は、いつまでもその言葉に引き摺られ心身共に酷使し、たちまち立ち直れなくなることだろう。
だからそういう人たちにできることと言ったら、下手なことは言わずにただその人を意思を否定せずに受け入れることだと思うんだ。騒ぎにならない限りだけどな。リストカットにしても「程々にしろよ」と嗜める程度だ。確かに痛々しい光景なんだけど、それがその人の救いの手であるならこちらも気を強く持ってそれを受け入れるべきなんだ。その人の為にな。
だが、それで自分も病むならばその人からは離れた方が良い、ミイラ取りがミイラになるってのは笑えないジョークだ。
俺の場合、「まぁ気楽に行こうや」という言葉を帰り際に送る程度だ。どんなときでも人の内情に首を突っ込むのは野暮だしな。そもそも相談だとか励ますとか、そんな上から目線で烏滸がましいことは出来んよ。本当に求めているのは気休めの言葉でも、明確なアクションプランでもないんだから。俺からは一緒にいて楽しいと伝える位しか出来ないよ。
今の社会、俺を含めてどんな人でも精神的に病んでもおかしくはない。
だからこそ接する人の気持ちを考えた振る舞いをする必要があるといえるだろうね。
それもマニュアルじゃなく、自らの内から出た飾らない言葉と感情でな。
「頑張れ」という、状況を選ばず使える言葉は便利であると同時に、感情のすれ違いを招く可能性もあるものだと、海外の励ましの言葉を見て改めて認識した。向こうではこう言った便利な言葉が無いからこそ、語彙が多く温もりを感じるものになるのだと思う。こう言う所は見習いたいものだね。
Go for it… You can do it… Hang it there…等々他にもたくさんある。
広義では同じ意味なんだけど微妙にニュアンスが違うから面白いんだ。
がんばれ♥️がんばれ♥️
ちなみにこれが個人的に一番好きな言葉だ。
…まぁ